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| オステオパシーについて |
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オステオパシーとは身体を一つのユニットととらえ、
筋(筋肉、靭帯、腱)、骨格(骨格・関節)といわれる運動器系を
改善することにとどまらず、
内蔵、循環器系(動・静脈・リンパ)及び脳神経系をも
施術対象とした施術法である。
オステオパシーという言葉は、
ギリシア語のOsteon(骨)とPathos(病理、治療)の
2つを語源としている。
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アンドリュー・テーラー・スティル(Andrew Taylor Still) 医学博士
(米/1828〜1917)
によって1874年に創始された。
彼は南北戦争の従軍医でありながら、
三人の娘を髄膜炎によって次々となくし、
自ら行っている西洋医学に限界を感じ、
人間に本来備わっている自然治癒力を高める方法を研究した結果、
オステオパシー医学を創始した。
1892年にアメリカ、ミズリー州において、
オステオパシー最初の教育機関である
アメリカン・スクール・オブ・オステオパシーが設立され、
その後、バーモント州において
1896年オステオパシー医療業務が始めて法的許可される。
1897年アメリカ・オステオパシー発展協会が発足、
(後のAOA[アメリカ・オステオパシー協会])
翌年の1898年にはオステオパシー大学協会(現AAO)が設立され、
1899年Dr.ウィリアム・ガナー・サザーランドD.Oにより
頭蓋に対するオステオパシー療法という新しい分野が開拓される。
そして、1903年Dr.ジョン・マーティン・リトルジョンによって、
オステオパシーは海を渡り、イギリスに伝わる事となった。
(1917年にイギリス最初のオステオパシーの教育機関が設立される)
1910年にはアメリカでオステオパシーが医学として公認され、
西洋医学医師(M.D [Medical doctor]:日本における医師)と
同様の正規の医師として許可される。
そのため、アメリカにおいてオステオパシー医は
診断、外科手術、処方、投薬等全ての医行為を
M.Dと同等に認められている。
しかし、現在アメリカではその事がかえって
オステオパシーを専門とする学生を減らす結果となり、
オステオパシー大学を卒業する学生の多くは、
内科医や整形外科医としての道を選択すると言われている。
○ オステオパシーのテクニック
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直接法、関節法、ポジショナル・リリース・セラピー(PRT)、筋エネルギーテクニック(MET)、内臓マニュピレーション、頭蓋仙骨療法(CST)、頭蓋オステオパシー、オーソパシック・メディスン、リンパ・テクニック、筋膜リリース(MFR)、チャップマン反射、ゼロバランシング・・・等々
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日本において、
オステオパシーが初めて紹介されたのは、
1910年頃と言われているが、
書籍にオステオパシーの名称を載せ、
本格的に紹介したのは
1920年の「山田式整体術講義録」だと言われている。
この書籍の発行者である山田氏に続き、
古賀正秀氏等が独自にオステオパシーを習得し広めていったが、
アメリカのオステオパシー医学と正式に交流を持ったのは、
1965年に技術交流を行った中山清氏(日本武道医学の創始者)だった。
その後、1971年全日本オステオパシー協会(JAOA)設立、
日本オステオパシー学会(JOA)発足、
日本オステオパシー連合(JOF)設立とつながっていくが、
日本においての認知度はカイロプラクティックと比べ、
いまだ低い現状となっている。
諸外国ではカイロプラクティックと同様、
専門家として法制化されているが、
日本では法制化されておらず、
JOFがMRO(J)(世界基準の教育水準を満たした者)を認定し、
術者の質の向上に努めている。
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