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米国カリフォルニア州においてカイロプラクティック・ドクター免許取得。
10年以上にわたり米国で臨床経験を積み、帰国。
2006年冬季(トリノ)オリンピックでは日本人カイロプラクターとしては初めて、
オリンピック協会公認ドクターとして米国より参加し、トップアスリートの治療を任される。
現在、名古屋、岐阜でカイロプラクティック施療を行うと同時にJCDC大阪、名古屋校で講師として活躍中。
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目次
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1.動物遺伝子学からカイロプラクティックへ |
1ページ |
| 2.英語が出来ずに・・・ |
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| 3.日本の教育現場の現状 |
2ページ |
| 4.新しい経営スタイル |
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| 6.結果を出せる施術者と出せない施術者の違い |
3ページ |
| 7.取材後記 |
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野中 先生は大学で動物遺伝子学を専攻されていたそうですが
どのような経緯でカイロプラクティックの世界へ進まれたのですか?
榊原 大学に入った時に、ボディビル部に所属したのが元々のきっかけです。
運動をするうちに人間の体のことやボディーワークなど、スポーツ医学系のことに
興味が移ってしまったんです。それで、 アスリートケアがやりたい と思うようになり
一時は本気で学校を転校しようかと思ってましたね。
野中 そこまで熱心だったんですか!?
榊原 ええ、実際に、ある体育学校の授業を聴講しに行きました。
でも、あまりにもレベルが低すぎてつまらないと感じたんです。
その時、私の中では3つの選択肢があったんです。
一つは学校を転校する。
一つは今の学校で大学院まで進んで、そこでスポーツ医学を勉強する。
最後の一つはアメリカに留学する。
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この3つが頭にありました。
けれど、前の二つは時間的余裕に折り合いがつかなかったので却下となり
「ならば、本場のアメリカに行くしかない!」と思ってアメリカに留学したんです。
野中 10数年前というと、カイロプラクティック自体が日本では殆ど知られていなかったと思うのですが
当時「カイロプラクティックって何か」とか「どんなことが出来るのか」とかはどこでお知りになったのですか?
榊原 え〜と・・・その当時はカイロプラクティックについて、何も知らなかったです。
野中 何も・・・って、・・・・・えっ???
榊原 そもそも、私がカイロプラクティックを知ったのは19歳の時に読んだ雑誌でした。
ボディビルをしていて、アメリカに留学してカイロプラクターとなって活躍している方がいる
という記事だったのですが、その記事のことが頭に残ってたんです。
その時は、別に興味もなく、ただ「こういう仕事もあるんだなぁ」と言う程度でしたから
特にカイロって何んだ?とか、何が出来るんだ?というのは調べもしなかったですね。
はっきり言って、カイロプラクティックが脊椎の矯正をして治療する技術だということは
アメリカに行ってから知りました!(笑)
榊原 とにかく、一部のカイロプラクターの人達がアスリートケアをしているのを知っていたので
「アスリートのケアをしたい!」というのが先にありましたから、
カイロを勉強すれば出来るんだ!と思って 即断、即決 でしたね。
野中 凄い行動力ですね。。。
あの〜、余計なお世話かも知れませんが、ご両親の反対はなかったんですか?
榊原 もちろん、ありました。
「一度は就職して、2,3年してもどうしてもやりたかったらやりなさい」という話でしたね。
野中 でも、すぐに留学されたんですよね。
榊原 押し切った形ですねぇ。
実家は神奈川県なのですが、大学のあった仙台から実家に寄らずに
成田へ直行 しちゃいました。(笑)

野中 実際にアメリカの学校へ入学されて、どうでしたか?
榊原 そうですね〜英語が殆ど出来ない状態で行きましたから、もう必死でしたね。
野中 えっ・・・? 英語が出来ないで行ったんですか???
榊原 そうですよ。その当時はとにかく強気でしたから、駄目もとで出した願書が通ったので
「向こうが来ていいって言うんだから、ついていけるだろう!」と
勝手に判断していましたね。
最初の一年半は実技は殆どなくて、基礎医学をみっちりやりましたから、余計大変でした。
英語で授業を聞くなんて初めてでしたし、専門用語も多いし・・・まず聞き取れないし、書き取れないしで
本当に大変でした。たまたま理科系の学部を出ていましたから
どんな事をやっているかくらいは分かりましたけど・・・。
野中 よくついていかれましたね。それだけでも凄いと思うのですが・・・。
榊原 今考えるとそうですね。
でも当時は信じていましたからね。
「これをやっていれば私のやりたい事に近づいているんだ」って、
それが支えになってました。
学校卒業後も普通にカイロプラクターとして開業していればよかったのですが
スポーツカイロプラクターを目指していたので金銭的に厳しい現状がありました。
一ヶ月くらい車で寝泊りした事もありましたし。(笑)
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