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野中 整体の場合、多くの検査技術というのは数値ではありませんから、手順はあったにしても細部にわたる把握というのは 個人個人の力量 にゆだねられる部分が大きいと思うのですが、その辺はどのようにお考えですか?
後藤 そうですね、良いか悪いかは正直わかりませんが、この業界では一つの特徴として指圧的要素の検査が多々あります。それらは 検査即施術 みたいなところがあり、検査と施術の境目がはっきりしないんです。
私は、このことが施術者の力量の開きが大きい一つの要因になっているように感じます。この方法ですと、個人個人の 感性に頼る部分 が非常に大きく、西洋医学のように数値で把握して、この場合はこうするのがセオリーだという基準が定まりにくいのは確かです。
感性は高ければ高いほど良いと思いますが、非常に曖昧なものですので、個人的にはそれではいけないという思いはあります。
野中 感性というのは非常に難しいですね。
後藤 私は講師もやらせて頂いておりますので、教える側があまりに感性に頼りすぎると施術法の遺伝子は残り辛くなると感じる事があります。但し、逆に理論的過ぎても残っていかない場合があります。ですから、残していく上で必要なのはどちらにも偏らない バランスを保つ 事なのではないかと思います。
後藤 例えば、実際にこんな話があります。本を何冊も出している有名な先生の下で勉強した方がいましたが、10年も勉強していっこうに治せないと言うのです。教え方の問題なのか、その方の問題なのか、はっきりしたところは分かりませんが、一つ言えることは、その有名な先生は治せているという事実があるのですから、その先生の技術は確かであり、理論的には正しいものなのですが、何らかの問題があって 再現性が乏しくなってしまっている という事です。これではせっかくの技術、理論が残っていきませんので勿体無いと思います。
野中 スポーツの世界でも「名プレーヤーは名監督ではない」ようなことは言われていますが、本当に素晴しい技術、理論も 伝え方 によって残っていかないという事は多々あると思います。 伝える側の責任 も大いに考えさせられますね。

野中 話は変わりますが、民間療法の業界には施術方法が山ほどありますよね、これだけ多くの方法があることについてどのように思われますか?
後藤 私は基本的にどの様な可能性もあると思っていますから、あらゆる療法に対して肯定も否定もしません。例えば骨がずれるという表現がありますが、骨そのものがずれるという解釈と、筋肉が引っ張って骨がずれるという解釈があります。両者は 真逆 の事を言っていますが、結果は同じです。本当にたくさんの療法がありますが、どれもそれぞれ理論があります。でも、結局みているのは人間なんです。 対象が人間 である以上、さほど大きく変わった施療法が出るということはありませんから、それが必要であるならばどの方法でもいいんじゃないでしょうか。
野中 大切なのは方法論ではないということですか?
後藤 よくこの方法が正しいという先生がいらっしゃいますが、この方法「も」正しいというべきだと思います。整体の中にも色々と流派や方法がありますが、どれも 何かが良いから 残っているわけで、伝統があるわけなんです。全然改善できないものであれば、わざわざ否定するまでもなく消えていくし、本物がしっかりと残ってくる。そういう時代になってきていると思います。
今、玉石金剛と言われたりしていますが、それは決して悪いことだとは思いません。一昔前は整体っていう言葉すら一般的には理解されていませんでしたし、そういう意味では世間一般の認知度がやっとここまで来たかという感じですね。業界としてのこれからは競い合って、潰れたり、潰したりが目的ではなくて、より良いものを作り上げて行く 研磨の時代 だと思いますよ。 |
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